5月11日(金)~13日(日)
ツールド熊野
第1回大会に出て以来7年ぶりの大会。雨の多い地域で毎年、結構降られるようだが今年は奇跡的に3日間快晴でした。
山岳コースもあり、スピードコースもありで盛りだくさんのコースでした。チームはTOJに向けてのレースでぎちぎちにはいかず良い走りの中にステージ優勝があれば良いという感じでした。初日はかなり攻めましたが集団ゴールでミヤタの鈴木真理が優勝。2日目は山岳コースで最終的に14人の先頭グループに田代、三瀧が入り最後の山で田代は3人で抜け出すものの残り10kmで捕まりゴールは又もミヤタの鈴木真理。
最終日も変わらず攻めていき、1周回目で飯島と三瀧を含む7人ほどの逃げグループで先行。愛三の西谷、盛も含まれ強烈なメンバーの逃げが形成された。三瀧は残念ながら遅れ集団に戻ったが、逃げグループは順調に2人半まで開き、ぞのままゴールへ。飯島がステージ優勝を果たし、総合も鈴木真理から愛三の盛へ移り大会が終了した。
チームとしては若い嶌田も走り、三瀧も経験を増やしこれから繋がる良い感じで終えることが出来た。自分自身はフランスから戻り少し調子を崩し気味。後一週間上手に過ごせたら良いかなという感じです。
2007年05月13日
ツールド熊野
2007年05月02日
5月1日(火)TOUR DE CANTON DE HAUTEFORT
サノエロアーから中1日。フランスの天気が戻ってきた。朝から雨が降ったかと思えば太陽が顔を出したりと気温の変化が激しい。リモージュの南に位置するオートフォー。17km+14km×9周の145km、2000年と2001年に2度出場経験がある。走り出すまで思い出さなかったが、登りと下りだけのレース。出走77人でアンカーには周回コースでチャンスもある。雨も止み暖かくなってきてスタート。人数が少ないだけに全員前で展開する中、畑中が15秒ほど1人で独走する。
暖かいと思ったら又土砂降りの雨に打たれて次ぎ次にリタイヤ。田代もゴール地点に戻り無理せずリタイヤ。
畑中は30人ほどになったレースの中、1人頑張り最後は3人に逃げ切られたが6位でゴールし、エスポアール1位の表彰を受けた。
フランス遠征がこれで終了。田代、普久原、三瀧は帰国し、畑中、村山、相川、長沼は後1ヶ月、こちらの地元のチームで活動する。日本組みと合流して6日(日)成田で行うアンカー祭りに参加します。
2007年04月30日
4月28日(土)午前 Etape2 85km
4月28日(土)午前 Etape2 85km
MONTCEAU-LE-MINE ~ MERVANS
前半40kmまでは第2カテゴリーの山が続きそこからはフラットでゴールに向かうコース。天候は回復して
暑い中、登りで3人が逃げる1分差で展開、ゴールまで行くかと思われたが残り150mで捕まり集団スプリントとなりなだれ込んで順位不明。長沼が完走したがタイムアウトとなる。
4月28日(土)午後 Etape3 75km
MERVANS ~ MONTCHANIN
何処のチームも午後がきついと口をそろえる。午後になり更に気温は上昇して30度近いだろ。
午前とは逆で前半はフラット、後半30kmが第2カテゴリー2つを含む山岳コース。
昨日今日と高速レースが続き午後も同じく激しいアタックの掛け合いの末、8人ほどの逃げが1分をキープしている展開だが、総合が絡んだ逃げで後続もリーダーチームと2位のチームでかなり懸命に追う。最初の山岳の入り口が狭く、入り口から激しい展開になり直ぐに10人ほどの先頭グループになり田代が入るが頂上手前で第2グループに脱落。
最後の山で何とか先頭グループ15人に納まり残り5kmの下り。第2グループも追いつき25人ほどでゴールスプリントになるが19位と振るわずゴールする。総合は15位にあがる。しかし今日はほんとに辛かった。
4月29日(日) Etape4 150km
MONTCHANIN ~ LE CREUSOT
最終ステージ、今日が最も厳しいらしい。ほとんど平坦は無く後半に第2、第1、第3カテゴリーの山が続く。
スタートアタックの掛け合いで普久原が11人の逃げグループに入り1分の差を付ける。
集団はリーダーチームがコントロールする中、1分半まで開いた普久原のグループは山岳が始まる110km地点で崩壊し第2カテゴリーの山では全て吸収され田代が先頭グループで最後の1級の山に入る。斜度が最大18%の激坂が待っていた。山頂が近ずくにつれて雨が降り出し路面はスリッピー状態。頂上を4人が30秒ほどリードで田代はその後ろで下り始める。先頭グループで落車があり血だらけの選手が僕らのグループに合流。雨は山岳だけで街は快晴。最後の3級の丘を追撃グループの15人ほどに入りクルーソの街へ入る。登りの頂上の教会でほぼ追撃の最終でゴールした。総合は13位あたりだろう。大会14年の歴史の中で最もきついコース設定だったらしい。本当に毎日きつかった。
明日休み、5月1日(火)は最後のレースTOUR DE CANTON DE HAUTEFORTに出場する。
2007年04月28日
4月27日(金)Etape1 160km
4月27日(金)Etape1 160km
LE CREUSOT~LE BREUIL
フランスの天気が戻ってきた。肌寒く小雨の中スタート。70km過ぎてから山岳ポイントが続く。長くても4kmほどの登りだがとにかくコースがきつい。10人ほどの逃げが何回か出来たがどれも決まらずハイペースでレースが進む中
天候は回復。今度はひたすら暑い。しかしそれも続かず、山岳が始まり山の中に入ると今度はバケツをひっくり返した雨、しかも寒い。久しぶりのこれぞフランスと言った気候の中、先頭は4人ほどで1分逃げている。集団は50人ほどで田代と、三瀧の2人。そしてまたピーカンに晴れわたり暑い。いったい何処まで続くのかと思うほどアップダウンが続き、123kmの山岳ポイントで三瀧も遅れる。
1分半まで開いた差は結局最後まで詰まらず田代が30人ほどの集団でゴール。先頭は去年までのプロツアーのチームの2人が逃げ切った。
2007年04月27日
Circuit de Saone-et-Loire Prologue 2.5km
4月26日(木)Prologue 2.5km
LE CREUSOT
18時スタート、まだ4月だって言うのにフランスは相変わらずの夏日で30度近い。クルーゾの中心地を走る結構なアップダウンの2.5kmのコース。全員ノーマルバイクで出走。20チーム100人の出走。大会の規模は大きく、エリートカテゴリーのトップだ。今回の優勝候補は今期5勝を既にあげてUCI1-2カテゴリーも勝っているそうだ。アンカーは田代、普久原、三瀧、長沼、相川の5人にアルビーで出場の畑中。普久原が14秒遅れでチームでは一番。それでもかろうじてリザルト1枚目の最後。僕は危うくスタートで押さえてくれる人とタイミングが合わずスタート台から落ちそうだった。
17秒遅れのリザルト2枚目。
2007年04月22日
4月21日(土)TOUR DU CANTON DE DUN LE PALESTEL
リモージュの北に位置するサン・セバスチャンがスタートゴール地点。プロツアーのセバスチャンとはえらい違いで片田舎。
第一村人を探すのも苦労する場所。今日もフランスは夏日で27度と暑い。コースは115kmの大周回+ゴールの街で15kmの周回を走る130km。参加人数は100人ほど。この地域は山が無いが平坦も無く丘が続き道が悪い。このあたりのレースはきついと選手皆認識している。レースは若い選手も多くスタートからほんとに激しく大人数の逃げが出来ては吸収されるのを繰り返し、20kmほどで一度、大集団に戻る。丘で田代を含む4人の逃げが出来、しばらく走り後ろから何人かが追いついてくる状況が続くがそれも振り出しに戻る。農道のような所の激下りは車一台かろうじて通れる。三瀧が下りでアタックを決めて先頭グループは5人で形成されて一段落が着いた。追撃グループも何度か出来て普久原が入り決まるかと思ったがそれは潰された。後半60km過ぎてから山岳ポイントが続くきついコース。1分の差で順調に三瀧が逃げる。前半から動いた僕は脚が相当来ているが、後半登り区間で三瀧と合流しようと試みて4人で何とか抜け出す事が出来た。気温が暑すぎる。補給も道が狭くもらうのが困難な状況。
無線で三瀧も水を欲しがっているようだがチームカーが集団を抜かせないほどの道の狭さ。
チームカーが先頭グループに辿り着け、補給しているところでアクシデント。三瀧がチームカーと接触して落車。身体中、血だらけになるが大事には至らず、しかしそのままリタイヤした。
田代が先頭グループに追いつき7人ほど。2人含むチームが2チーム。何とか交わしながらアタック合戦をこなすが結局2人に行かれてしまい残り20km。3人で先頭交代しながらゴールまで行き7位でゴールした。
優勝したのが元プロ。2位の選手はプロツアーチームのフランセーデジュに決まっている。このカテゴリーで勝つもの大変だ。
2007年04月16日
4月15日(日) CRUCUIT DES VINS DU BLAYAIS(ELITE Nat)
ボルドーの北のキャビナックという街、ここがスタートゴール地点。145kmの大周回+4.5km×3周回の158km。平坦とアップダウンが半々で丘が何箇所かある高速コース。ボルドーの近くとあって露店では生牡蠣が売られている。レースは158人出走でロシアやニュージーランドが外国チームで後は南のエリートチームが占めている。畑中は地元のクラブチームで出走しアンカーは普久原、三瀧、長沼、相川、田代の5人。昨日は前座で今日がまともなロードレースと言った感じ。今日も快晴で半袖半パンでの出走。スタートアタックでいきなり10人の逃げグループ。始まったばかりと油断していたら、道がずっと細く1分の差をつけて30kmほど過ぎる。道が細い上にコーナーがたくさんあり思っていたよりきつい。途中、用を足しに止まると集団復帰に意外と脚を使い手間取った。
チームカーは20台。長い隊列でアンカーは17番目。
道が急に広くなりフランスナショナルエスポアールチームが先頭を固めると一気にスピードアップ。やばいと思ったが手遅れ。直線の横風区間で楽車が多数。必死に先頭まで上がるが既に時遅し。20人以上の先頭グループが先に見える。
4月14日(土) GRAND PRIX DES FETES DU COUX ET BIGAROQUE(ELITE Nat)
場所はボルドーの西。エリートカテゴリーではあるが昔で言う1-12-4、大周回一周、小周回15周、大周回2周の105km70人ほどで周回に賞金がかかるクリテリウムに近いが登りと下りがメインで大周回は5kmの登りがある。
トゥールーズは雨だったがアキテーヌは快晴で半袖半パンでの出走。スタートからバンバンアタック合戦を1時間半ほど続け5人で田代が抜け出す。追撃に12人に普久原が入り、先頭グループは17人。賞金が3周回ぐらいに1回かかり変なレース。ポイントレースのようだ。抜け出しを試みるがなかなか決まらず、最後の大周回に入り登り口で先頭グループはバラバラになり田代を含む10人のグループ。普久原はここで脱落。登りきり、下りで3人に逃げられてそのままラスト周回に15秒まで詰めるが最後は詰めきれず4位グループの集団で田代が6位でゴール。
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2006年08月06日
8月3日(木) Monpazier 4日(金) Bruch
21時スタートの夜クリテに2夜連続で出場してきた。
初日は街の一周1.5kmを65周回と2日目は800mの周回を115周回。
気が遠くなる周回のレースに参戦してきた。結果は初日は別府と中嶋が完走、2日目に至っては全員リタイヤで終わった。2日とも登りと下り中心のコースで真っ暗の中、時速50kmでコーナーに突っ込んでいく精神的にもタフでないと厳しいレースだった。
全開でもがきっぱなしのレースでクタクタ。
2006年08月02日
7月31日(月)エリートレース
7月31日(月)
Lginac(Erite)
5年前のアンカーの遠征で7位になったレース。会場「4~5年前パン屋で会ったぞ!」と言われてそういえば会ったような会ったこと無いような。エリートクラスは昔で言うアマチュアのレース。リモージュの西にあり、田舎地帯で昔はエリートのレース3連戦の最後のレースで人数も多かったが1週間ずれての開催になり出走人数は何と50人。
2006年07月25日
Tour of East Java(uci2-2)インドネシアジャワ島no4
飯島選手が最終日に優勝
Tour of East Java(uci2-2)インドネシアジャワ島no3
勾配15%以上が3kmも続いた
Tour of East Java(uci2-2)インドネシアジャワ島no2
第4ステージはプロモ山2200m頂上がゴール
Tour of East Java(uci2-2)インドネシアジャワ島
7月5日(水)~7月9日(日)
Tour of East Java(uci2-2)インドネシアジャワ島
ジャパンナショナルチーム
飯島(アンカー)、田代(アンカー)、長沼(アンカー)、飯野(ラバネロ)、柿沼(ミヤタ)、真鍋(ニッポ)
田代恭崇 個人総合3位
飯島誠 ステージ2勝
ナショナルチームとシマノが日本から参加